一級建築士設計製図試験の合格発表が25日に行われた。私は、来年も取り組むこととなった。社会人になってからの貴重な学びの機会であるので、有り難いことである。そのため、全く悲壮感はない。残り2年以内に1回受験資格がある。
その一方で、残念としか言えない状況の人もいた。一緒に講習会を受講したTさんとHさんである。参加した塾の独自採点では、二人とも合格圏内という結果であった。再現図もシンプルで押えるべきポイントをきちんと押えているように見えた。だから、私は、合格であろうと思っていた。彼らのような解答がお手本だろうと思った。Tさんは、その塾の独自採点では1番の高得点だった。本人も、期待はあったと思う。同時に「もし不合格だったら、EXP.Jのラインを1階平面図に書き忘れた点が原因だろう」と不安も口にしていた。それは、昨年合格だろうと思っていた優秀なMさんが不合格だったのことを知っているからである。それが現実となった。それもランクⅡではなく、ランクⅢである。ランクⅢは著しい知識不足があるという判断である。私は、この試験で何が求められているのか、少し分からなくなった。
この試験は、バランスの良いシンプルなプランが出来ていても、出題元が設定した合否ポイントを外すと、一発で不合格になってしまう。講師方も、不合格にならない事が一番のテーマであると、何度もそのことを強調していた。採点する側の能力が問われないように、合理的に不合格と判断できるように、ある/なし、法規、数字、などのプラント関係ない点で合否を決める。ある一定上の不合格者を合理的に出して、採点基準をその年ごとに変え、目標とする合格者の割合を調整するというやり方を取っているらしい。優秀な設計者を輩出することより、制度を維持することに甘んじているように見える。
貴重な学びの時間は、そろそろ卒業しようと、決めた。
大分県の湯布院にいる知人から久しぶりに連絡があった。別荘の設計施工を行っている知人で、実施設計を手伝ってほしいとのことであった。彼の設計する別荘は、眺望を活かした高級な仕様ばかりであった。今回は、私の条件が合わなかったので、お断りしたが、別の機会に取り組んでみたいっ仕事であった。
先日、一級建築士の設計製図試験の結果が公表された。私は、不合格であった。東側道路の延焼ラインを2階と基準階の平面図に描き忘れた時点で、不合格が決まったと思っている。
一緒に勉強した仲間の内、合格するであろうと思っていた優秀な三人も不合格だった。その内、二人は再現図を見ても、とてもシンプルにプランニングができており、講師の先生は自社採点基準で合格圏内と結論付けていた。それだけに、私自身、この試験で何が求められているのか、分からなくなった。
採点する側の都合で、採点する能力が必要なく、合理的に不合格にするために、ポイントを設定し、バランス良く出来ていても、そのポイントを外すと、自動的に不合格にしてしまうそうだ。線、文字、数字、等の少しの間違いや書き忘れも、不合格の原因なので、その二人は、本人も気づかないポイントで不合格にされてしまったのだろう。
優秀な設計者を輩出するという目的に沿っているのではなく、ミスをしないことが優先順位が高く、その上で、当たり障りのない計画を、時間内にできる人が合格できる。だから、組織設計事務所で実務をこないしているからと言って、合格できるかと言えば、そうではない。試験用のプランニングを学ばないと合格できないのだ。
不合格だからと言って、何も成果がないかと言えば、そうではない。ステップエスキースの手順を理解し、ステップ毎に検討するテーマを理解出来た。要点の勉強方法も確立した。作図の時間管理も出来るようになった。フリーハンドで作図出来るようになった。基準法の理解が進んだ。空調関連の知識が深まった。本番で未完にならずに全て書き込めた。など、合格に必要な条件が沢山積みあがっている。
あと2年以内に1回受験資格があるので、戦略的に取り組みたい。
毎年恒例の忘年会に参加する。メンバーは、前職場の同僚が中心である。今年どんな取り組みをしたのか、どの様な成果が出たのか、等が自然と話題になる。
その中の一人であるSさんは、現在、戸田市役所の建築関連の部署に配属されている。長年、町場の工務店で設計施工で家づくりを行い、工事部長まで務め上げた後、自治体職員という珍しいキャリアを歩んでいる。その上、建築主事でもある。建築主事と言うのは、各自治体に最低1名必要な役職で、建築関連の法に基づく最終的な責任を負う役職である。
現在、市営マンションの修繕管理を行っているという。要するに、大家である。その間、色々な事件や問題が発生し、苦労しているという。多くの職員が、その仕事をすると、メンタル的に苦しくなり休んでしまう事が多いらしいが、Sさんは、何とか対応できているそうだ。それも、前職場での経験が役に立っているという。その時は大変だったけど、あの時の経験があるから、今の自分があると言っていた。
私自身も、デザイン性に富んだ仕事を、設計から施工まで一人で行うという、他の会社では出来ない経験をさせてもらった。その上、私が担当した物件は、特殊な住宅が多かった。それは、私の実績を、他とは一味違う印象を与えてくれている。大変ありがたく思っている。
以前、しばらくの間、計画の可能性を検討していた敷地が、戸ヶ崎地区にあった。
結局、市街化調整区域だったので、そのクライアントの望んでいることを、そのまま実現することは難しいと分かり、その仕事を引き受けることはできなかった。
昨日、近くに来たので、その敷地を見に行ってみると、案の定、砕石で盛り土し、整地され、中古自動車が何台か駐車されているだけであった。計画は進んでいないようだった。
その敷地内を通らないと道路に行くことが出来ない状態になってしまった隣家の様子が、少し寂しそうであった。
部屋の中、家の中、敷地の中、そういった身の回りにある環境に対して、「何か使いにくい」、「もっとこうならないだろうか」、などのおぼろげな不満があったとき、どの様にしているのだろうか。
私の両親の会話を聞いていると、結局、自分でできる簡易的な対応を、その度に行い、根本的な解決をしていない。両親は、リビングに入る引き違い戸が重いと、いつもぼやいている。そして、戸車にシリコンスプレーを掛け、その瞬間、気持ち動きが良くなり、それで満足している。しばらくすると、また同じ会話をし、同じ対応をしている。
我慢強く、何でも自分の力で何とかしようとしてみることは、悪いことではない。相談してみるという発想があまりないのだろう。これは、作り手側の課題とも言える。そのような相談も受け付けていることを、もっとアピールすることも必要である。自分は何屋さんと言えば、相手に分かってもらえるのだろうか。
チラシを配っている。一軒づつ周り、自己紹介をして、案内のチラシをお渡ししている。地元に、私みたいな設計者がいることを知ってもらうためである。昨日、戸ヶ崎地区に到達した。
400軒程訪問し、同じ自己紹介をしているので、相手の反応を観察する余裕も出てきた。在宅する方のほとんどが玄関先まで出て来てくれる。最初は、怪訝そうな表情をしているが、最後には「ご苦労様です」「ご丁寧にありがとうございます」と言ってくれる方が多い。セールスではないのに、一部の方は、話している途中で「結構です」と拒否されるケースもある。伝えることの難しさを感じる。
設計事務所の存在意義は、見積書を作らず、施工をしないことによる、判断の透明性にある。
設計者が、施工を行い、見積書も作るとなると、自分の都合の良いように出来てしまい、それでは、クライアントのためにならない、という理屈である。性悪説に基づいている考え方に思える。
公共の建物のように、説明や報告が求められる計画であれば、そうせざるを得ない。
工務店、ハウスメーカーの次は、設計事務所について解説します。
設計事務所は、設計を生業とし、成果物は図面です。その図面通りに建物が建てられているのか、工事をチェックする仕事を設計監理と言います。この、図面を作り、工事をチェックする仕事を、主に行い、そのことによって、クライアントの要望に沿った建物を作るお手伝いをしているのが設計事務所のサービスなのです。なので、クライアントとは、建物の完成を約束している訳ではありません。
設計に特化している分、そのノウハウの蓄積があります。設計が好きな人材が集まり、設計に時間と能力を惜しみなく掛ける傾向があります。条件の悪い敷地でも、色々な可能性を検討し、ハウスメーカーや工務店では思いつかないような提案をしてくれたりします。模型やパースを作るのが普通なので、クライアントも楽しく打合せに参加することが出来ます。
設計以外の重要な役割が、見積書の精査と施工会社を選び、クライアントと工事請負契約をするお手伝いです。ハウスメーカーや工務店と違い、複数の施工会社から見積書を提出させ、金額を比較することが出来ます。クライアントの予算を考慮し、クライアントの立場に立って、代わりに施工会社と金額交渉をしてくれます。そのため、クライアントは、工事金額に対する納得感が得られます。但し、設計料は発生するので、複数の見積書の中から、一番安い施工会社と契約しても、工事請負金額の10~15%の支出が別途発生します。
ハウスメーカーは、60年代から70年代の安価な住宅を大量に供給する事が社会的な使命だった時に、生まれた会社が多い。工場で自動車・家電を製造し販売する発想を、住宅に置き換える事が出来ないかという所から来ている。だから、トヨタ・ホーム、パナ・ホームなどがある。大阪万博が開催され、メタボリズムという建築思想が注目されていた時期である。プレハブ住宅というのも、その頃に生まれた。
当時は、大工の工務店が、ほとんどの家を作っていた。三郷市内の農家に在る立派な入母屋の住宅などは、その頃に作られたものである。その頃の、新宿の写真を見ると、ほとんど瓦屋根の建物で埋め尽くされている中に、高層ビルがいくつか建っている風景が映し出されていた。設計事務所に住宅の設計を依頼するという発想は一般の人には無かったようだ。工事をする工務店も、設計者が描く細かい図面を読んで、それに沿って建物を作る習慣に慣れておらず、いつも通りにできない煩わしい仕事と思い、敬遠してたと思われる。
大学などの研究機関で、新しい住いの考え方や建物を作る技術や計算方法や優秀な設計者や技術が生まれても、それを実務で活かせる会社が限られていた。なぜなら、大多数の工務店は、昔ながらの経験と知識で作っており、新しい知識を学ぶ必要性を感じていないからである。また、人材も、徒弟制度の中で、中卒・高卒の若い子を大工の弟子から育成する流れしかないので、大学卒で知識を活かせるポストが用意されていないのだ。
当然、ハウスメーカーなどに新しい技術情報と人材は流通し、社内で開発応用されていく訳である。そして、80年代から、新しい生活様式や住宅に対する考え方を反映させた、ハウスメーカーの住宅と建築家を名乗る設計者が、住宅産業に進出し始めることで、工務店の作る住宅は選ばれなくなり、大工さんの工務店は規模を縮小して行くことになる。
住宅を作る会社は色々ある。一般の方には区別が付かないだろう。
まず、最初に思い浮かべるのは、工務店とハウスメーカーだと思われる。どちらも、設計から施工まで一貫して行う点は共通している。違いは、創業の背景である。私がイメージしている全体像を解説します。
古くから在る工務店の形式は、大工さんが棟梁になり、作った工務店である。材木を保管し、それを加工する工場を持っている。弟子を抱え、指導しながら、営業、設計、施工、アフターメンテナンスまで、棟梁が行う。地域の神社や集会所の修繕なども行い、地域に根付いた活動をしている。昔ながらの工法に精通している一方、新しい技術の習得が追い付いていないケースが多い。そのため、外部で開発された商品のFC加盟店となり、それを自社の商品として売っているパターンが多い。80年代の成功体験があるので、社会の変化に適応出来ず、会社の規模を縮小しているか、廃業している会社が多い。しかし、アキュラホームのようなレアケースもある。
80年代に現れたもう一つの工務店の形式は、現場監督が中心となって出来た工務店である。自社で大工を抱えてる事もあれば、外注していることもある。この工務店は、外部の設計事務所の仕事を請け負っている事が多い。そこで培われた経験から、施工図をきちんと描き、技術力の高さを売りにしている会社もある。アトリエ系建築設計事務所の仕事しかしていない会社もある。そのような会社のHPを見ると、デザイン性に富んだ施工事例が沢山掲載されているが、自社で設計したものではない。そのため、設計事務所を紹介するサービスやマッチングサービスを行っている会社が多い。比較的、富裕層向けのサービスである。
また、珍しいケースとして、住宅営業出身者が作った工務店もある。どんな仕事でも、スタートは営業からである。営業を行わないと仕事が生まれない。大工の工務店と現場監督の工務店は、モノ作りが好きで始めているので、技術力を磨くことに一生懸命で、営業の重要性をきちんと認識できていないケースが多い。その盲点をついて、お客様の信頼を得て、成長した会社がある。もともと技術力がないので、生産の現場とのコミュニケーションが失敗すると上手くいかない。欠陥や瑕疵が発生し、トラブルになり、信用を失う。成功事例としては、タマホームと平成建設が有名である。タマホームは施工は全て外注だった気がする。実際作っているのは、地元の契約をした工務店なのだろう。ハウスメーカーに近い形態だ。平成建設は、大工を抱え、工場を持ち、グッドデザイン賞を受賞するような設計部門が自社にある、優秀な会社である。
住宅営業の出身者が作った工務店と似ているのが、不動産屋から始まった工務店である。住宅を作ろうと思えば、どこに建てるかがテーマになります。また、土地と建物を同時に考え、どこにどんな建物を建てようかと考えるのが、普通の発想です。土地の相談で信頼関係ができれば、その流れで建物の相談もしたくなるのが人情です。もともと営業力があるので、自然に出来てしまいます。それを何度も経験している内に、外部の住宅商品を活用し、自社で設計施工をしてしまうのです。建売と注文住宅のどちらも出来る所が強みです。しかし、不動産部門の意見が社内で強く、設計や技術的な意見が社内で通りずらい様です。その結果、優秀な設計者ほど辞めてしまい、設計を外注しているケースが多いです。
そして、最近ジワジワ来ているのが、設計者が中心となり始めた工務店である。モノ作りの要である設計を重要視してる。お客様への提案力と設計力、生産の現場への伝達力と設計精度、等により、安定した品質の住宅を提供している。設計が好きで始めているので、性能表示制度、外皮計算、温熱環境シュミレーション、耐震化、などの新しい技術的な知見を取り入れることに対応できているケースがほとんど。設計者が現場管理を行うので、経費を圧縮し、デザイン性に富んだ住宅が、リーズナブルな価格で提供できる。少人数の会社がほとんどで、親切丁寧、顔の見える関係を大切にしている。小さなリフォームやお悩みレベルの段階から、相談を受けられる。設計施工之コ―タローもこの部類に入ります。
次回、ハウスメーカーとその他について、解説します。
半田地区でチラシを配布している。半田地区は、武蔵野線の北東側で、畑の中にぽつぽつと住宅、倉庫、工場などが立ち並ぶエリアである。
工務店の看板を出している建物もあり、地元の方は昔から付き合いのある工務店に何かあれば相談しているものと考えていた。案の定、「付き合いのある大工がいるので、結構です」とチラシを受け取ることを拒否する方もいた。
しかし、ある農家の方からは「知り合いに大工が沢山いるが、だからと言って相談したりしない。相性が合わなかったりするから」と言われた。その方は、団地内に昔あった児童館の職員をやっていたり、地元で有名な会社の会長とも同級生だったりする方だった。目の前に田んぼがあり、玄米を30kg単位で販売しているとか、近くに養鶏場があり、1個単位で販売しているという生活に役立つ情報も教えてくれた。
建替えもしたいような話もあったので、何か役立つ情報があれば、再訪問してみようと思った。
民俗学の研究者である井出理恵子氏の講演会に参加した。日本の信仰、しきたり、言葉の根源的意味を研究している方である。伝統やしきたりから未来を生き抜く知恵を学ぶというのが講演会の趣旨であった。生活の中で希薄になっている日本の知恵を学び直したいという目的から、私は参加した。
当然、私たちを取り巻く環境の話から住宅の話題も取り上げられ、建築界で進められているZEH住宅は、本来の日本人の目から見れば、あり得ない姿であると批判の的になっていた。そういえば、母から聞いた話であるが、栃木の農家だった祖父は、団地を初めて見た時、人間が住むものではないと言ったという。機能主義、合理性を追求したモノは、新しく正しいように見えて、何かが抜けている。人間を、糸の切れた凧のようにしてしまう。
エナジーズ―という外皮計算ソフトのオンライン説明会に参加した。結露計算、室内温度計算、外皮計算、ライフサイクルコスト計算などの機能が付いている。住宅の購入を検討している方にとって、知りたいであろう情報を、事前に確認することが出来る。また、設計者にとっても、計画のシュミレーションができるので、設計の精度が増す。これから住宅を購入する方が羨ましく思えてしまう。
以前、押入のリフォームをしたお客様から電話がありました。照明のスイッチを三箇所新しくしたいそうである。
しかし、その工事のために、私の協力業者の電気屋に来てもらうと、材料代も含めて、少なくとも半人工くらい、要求してくる。色々な工事箇所が発生するある程度の規模の工事と施工個所が少ない工事では、単価が違ったり、計算方法が違うのは当然のことである。
それに加え、私が動いた分の経費も加えると、お客様が思っていた以上の金額になることが想像できた。
そこで、団地に住んでいる電気屋をお客様に紹介することにした。70歳代くらいの方で、お客様とも年齢が近い。私と取引したことはないが、団地の住民の方の相談を以前から色々受けている実績がある。その電気屋も了承してくれた。
三方良しとはこのことである。利益は全くないが、良い気分になれた。
週末は、意識的に休むようにしている。単に仕事をしないだけでなく、お金にならないこと、仕事にならないこと、童心に帰ること、などを意識的に行っている。そこまでしないと、仕事の感覚が抜け切らないのだ。
これは、設計事務所での悪い働き方が原因だと思っている。前職場では、現場管理も行う責任感から、週末も働いていた。今振り返ってみると、悪循環の中で何とかしようと頑張っていたように思う。自分を客観視できるようになってきたので、少しづつ、成果の出やすい働き方に改善している。
その一つが、週末は意識的に休むことである。最近取り入れた習慣は、団栗珈琲作りである。近くの二郷半に行き、落ちているドングリを拾って、皮を剥き、あく抜きをして、粉末にし、フライパンで焙煎する。これが、意外と楽しいのだ。
また、自己啓発のような感覚もある。地面に落ちているドングリを探すことは、自分の中に眠っている才能を発見することのように感じたりする。これは、拾っていて、ふと感じた感覚である。
4回程、トライしたので、団栗珈琲の作り方のコツも分かってきた。毎朝、団栗珈琲を飲むのも習慣になってきた。袋詰めして、パッケージをデザインしたら、面白かもしれない。プレゼントに使えそうである。考えてみるだけで、ワクワクする。
午前中、資料収集に法務局に行く。チラシ配布活動中に出会った方の計画提案を考えるためである。幸い、土地と建物の登記図面があった。三千円程度の印紙は購入し、何枚かの資料を手に入れる事が出来た。
近日中に、CAD図面化し、計画可能なボリュームとその配置について考えてみようと思う。
三郷市内でチラシを配布活動している。一軒づつ挨拶しながら回っている。慣れてきたとはいえ、どの様な方が住んでいるのか分からないので、いつも不安がある。しかし、その不安な気持ちは一旦横において、ある一定上の年数が経っているであろうお宅には、うかがうという自分ルールに従うと決めて、動いている。
昨日、うかがったお宅は、現役を引退した大工さんのお住まいだった。建物の外観からは分からなかった。挨拶して自己紹介をすると、向こうからそのことを教えてくれた。現役時代は、彦糸地区のある有名なお寺も作られた棟梁だという。近年の大工を取り巻く社会環境の変化や仕事の内容に関して嘆いていた。大工仕事の価値をきちんと評価できる人が少なく、指示に従って仕事をする作業員化されてしまっていると言う。その方は、若い大工にハウスメーカーの仕事はするなとアドバイスしていると話してくれた。
しばらく、昔の仕事の話を色々とうかがい、寒くなってきたので、挨拶をしてお宅を後にした。機会があれば、また話を聞きたくなるような方だった。
団地の仕様は特殊である。今行われている普通の仕様ではない。簡単に出来るだろうと住民の方は思うだろうが、簡単に出来ないことが多い。ちょっとした事が意外と出来なかったりする。
ある場所をこんな風に出来ないかと母が私に質問してきた。不満を感じている理由は分かるが、その少しの変更のために、色々な周辺工事が必要で、工事が大掛かりになってしまうことが私には想像できる。
母がそう思うと言うことは、他の住民の方も同じように感じているはずなので、専門家としても納得できる解決方法をまとめて用意しておこうと思った。そこで、「団地の生活、応援企画」と名付け、商品開発を行います。
父が家の中の壁を塗装している。最初は、玄関周りの壁だけかと思っていた。今日は、冷蔵庫を移動し、背後の壁を塗装している。最初から全ての壁を塗装し直す計画だったらしい。
どの個所も、刷毛で塗っているので、よく見ると刷毛跡が残っており、あまり綺麗とは言えない。抽象柄にするなど工夫すれば良いが、慣れないやり方を覚えるのは、高齢な父にとって手間であろう。手持ちの道具で、父なりに一生懸命に行っているので、私は余計な口を挟まないことにしている。
先日、リビング東側の壁が綺麗に塗れたと、父は嬉しそうに語っていた。その色は、手持ちの色を複数混ぜて自分で作った色だった。薄い黄色で、少し黄緑ががっている淡い色である。私の目から見ても、良い色である。間近で見ると、やはり色ムラやはみ出し箇所があったりするが、父にとってはどうでも良い事なのだろう。父はとても満足してる。
夢中になって作業に取り組んでいる父を見て、自信というのは、このような経験によって育まれるのだろうと思った。
設計の打合せに時間を掛けることが大事です。これによって、住み手と作り手が互いに、工事内容を確認することが出来ます。また、見積金額と工事内容を照らし合わせる事が出来ます。住み手は内容を納得でき、作り手は安心して工事に取り掛かれます。
しかし、このことが意外と軽視され、秘かに問題が起きているようである。
「地元で有名な会社にリフォームをお願いしたら、工事箇所に不具合が発生した。更に、後から見積書を見たら、ある工事項目の金額が異常に高いことが分かった。」ある地元の方の話である。その会社の社長さんと昔からの知り合いで信頼関係があり、注文だけして、工事内容についてはその会社に全てお任せしてしまったらしい。おまけに、その会社は管工事が専門で、最近リフォーム事業を新たな柱にしていた。起きるべきして起きた問題である。
細かい仕様を色々決める事が煩わしく感じてしまう、その方の気持ちも分かる。とりあえず見積をお願いし、想定していた予算内であれば、お願いしてしまう。いつまでも考えている時間が、ストレスなのだろう。
もっと、楽しみながらじっくり考えるリフォームもある。設計者が分かりやすい判断材料を用意すれば、それが可能である。新しい知的な発見がある。自分の好みを思い出す。もっとこうしたいという気持ちが湧いてくる。そのような感情を味わえるのは楽しいもである。
そのためにも、設計に時間を掛けることが、住み手と作り手の双方にとって、大事なのである。
団地リフォームには思わぬ落とし穴がある。一番の落とし穴は、実は建物の精度が悪いという点である。今住んでいて、問題を感じないので、気付いた時、お客様の不安が大きかったりする。
「がっかりしている。こんなことなら工事をお願いするべきではなかった」そうお客様が呟いていた。「どうしたんですか」と尋ねると「洗面カウンター周りのコーキングの幅が真っ直ぐでない。だから、がっかりしている」というのだ。「なるほど、そう考えてしまうのか」と私は思った。
三方壁に囲まれている洗面所に、洗面台用の大きなカウンター天板を設置する場合、壁が直角でないと、細い三角形の隙間が出来る。そのため、三方の隙間のばらつきが、目立たないように、バランスの良い位置にカウンターを配置する。たいていの場合、コーキングで三方の隙間を埋めて仕上げる。コーキングは、見せるものではないし、むしろ汚れの原因になるので、最小限にする。すると、三辺のうち、二辺のコーキングの幅が、厳密に言うと細長い台形になる。
このことをお客様に説明すると、「へーそうなんだ」と言い、いつもの表情に戻られた。キッチン周りにもコーキング箇所が色々あるので、「どこか気になる所はありますか」と尋ねてみた。すると、キッチンの所に行き、一つ一つじっくり目で見て確認し始めた。そして、「どこにも気になる所はありませんね」と、我にかえったような表情をしていた。
お客様は、初めてのことばかりなので、思わぬ勘違いから不安で一杯になってしまう事がある。それを見越した配慮が設計者には求められる。
完全着工が、お客様にとっても安心です。
完全着工とは、工事請負契約の段階で、設計を完了し、仕様を全て決めてから、工事を始めることです。つまり、工事前に、金額に関係する部分を全て決めてしまうことです。そんなの当然ではないか、と思われるかもしれないが、そうではないのである。たいていの会社は、予算だけ確保し、細かい設計を行わないまま、工事請負契約をしている。
仕様を想定し、予算だけ確保しておき、細部の設計は行わず、現場で職人さんと話し合って決めていたりする。理由は、実際の建物もなく、打合せ段階で、あれこれ仕様を決めるのは、お客様にとっても、難しいことなので、ある程度出来上がってから、現場で決めてもらうためである。
お客様のためと言いながら、打合せと設計を簡略化し、手間を惜しんでいるように、私には見えてしまう。
見積もりの精度も高くない。現場で決めた仕様が予算内に納まれば、差額は作り手側の利益になってしまう。予算オーバーを恐れて予備費を確保すれば、総額が大きくなり、お客様は予算配分の判断を誤ってしまう。どこか不誠実な感じがする。
だから、完全着工に備え、設計の精度を高くし、分かりやすい判断材料を用意する、この二点を打合せで心掛けている。
私が建物を作っている。設計し、材料を発注し、職人さんに工事内容を伝え、その内容を確認する。それら一連の工程の主体は私自身である。
私が自信を持って言えるのは、型枠大工として自分の体で作る経験が役に立っている。図面を描くことと施工イメージが結びついている。施工イメージが設計と図面の質を高めている。
設計者が図面を描き、工務店が作る、という役割分担が一般的である。教育機関で設計を学び、設計事務所で働くと、それが普通になる。しかし、その設計者は、私が作っていると自信を持って言えるのだろうか。
ハウスメーカー、工務店、設計事務所など、建物を作っている会社は色々あるけど、誰が作っているのか曖昧な会社が多い。横のつながりを大切にする日本社会では、それが自然と曖昧になりやすい。
現場の連帯感は、仕事の士気を高めてくれるので、悪い事ではない。しかし、その雰囲気に飲まれて、自分が手綱を握っていることを、設計者は忘れてはならない。
自分で判断しようとすると上手くいかない。
不満があると、原因を特定しようと、思考が働く。これは、人間が本来持っている防衛本能のようなものだ。問題のない快適で安心な環境にいる方が、気持ちの面でも良い。
どこに原因があるのだろう、という目で周りを見渡してみる。すると、汚い、壊れている、使いにくい、といった分かりやすい問題個所を発見する。合理的に考えても、一般的に見ても、問題に思える。他の人に聞いて見ると、同じような回答が得られる。次第に、それを見ていると、似たような嫌な感情がふつふつと湧いてくる。それを取り除けば、不満を解消できるに違いないと確信に変わる。それを、問題の原因であると判断する。
このような思考を繰り返し、自分を納得させ、本質的な問題が放置されているのではないかと、予想する。
人間には思考のフレームがあり、その大きさは人によって違う。そのフレームの外側を、本人は認識することが出来ない。知らないことは、見えないのである。特に、情報量が多く複雑になると、原因の特定が難しい。間違った事柄を、原因と認識してしまう。
三郷団地O改修では、当初、コンロの交換とフローリングのリペアの強い要望があった。その頃のお客様は、それらの不満で頭が一杯になっている印象だった。しかし、予算の都合で、それらの工事は行わなかった。工事が完了し、お部屋の中がスッキリ綺麗になると、お客様はそれ程気にならないと言って、今でもそのまま使っている。
狭い思考のフレームの中にいると、本質的な解決方法に至らないことが多い。思考のフレームを広げ、優先順位の高い問題から解決すれば、下位の状態はそのままであっても、問題が解消されてしまったりする。自分で判断しようとすると、それが出来ないのである。
考えがまとまる前に、ご相談ください。
「考えがまとまっていなくて、すいません」とあるお客様がヒアリングの最中に言われた。要望や指示、気になること、実現したい事などが、一度に頭に浮かび、あれこれ話している自分を恥ずかしいと思ったようである。
小さなリフォームを含めて一般的に建築計画は、考えるテーマが多義に渡る。更に、工事の実現性と工事金額が分からないことが、お客様の思考を堂々めぐりする要因になっている。その結果、相談出来ずに、モヤモヤを抱えたままの方が多い。
商品が用意され、その中から自分に合った物を選ぶという手順であれば、それ程悩まなくて済む。しかし、それでは、そこに用意されていない商品に思いを巡らすことは出来ない。たいていの場合、その中ら選び、使い始めてから、もっとこうすれば良かった、と気付いたりする。
そうならないためにも、そのモヤモヤの状態で、ご相談ください。そうすれば、モヤモヤが解消され、考えがまとまります。
考えをまとめるために、まずは、ご相談ください。
昨日、伯母の告別式に参加した。不幸なことであるが、死をイメージする貴重な機会であった。
人生後半を充実させたい。優先順位の高いことに時間を使いたい。そのために、残りの人生の長さをイメージしたかった。告別式の悲しい雰囲気と棺桶の伯母の顔が、そのことを教えてくれていいるようだった。
今、近隣でリフォーム工事が行われている。そこに住む依頼主は、塗装屋に直接相談し、工事を進めているようだ。塗装屋が元請けということである。工事内容は、木枠・室内側コンクリート躯体部の塗装と畳床をフローリングにする工事を行うらしい。最初、塗装屋の親方と若い職人の二人が作業を行い、塗装工事が終わると、大工が来た。現在、親方と大工の二人が現場にいる。親方に話を聞くと、団地の自治会の仕事をよく請け負っているらしく、団地内の街灯の支柱部分の塗装工事を行ったと話してくれた。
当然、設計監理者はいない。そもそも、設計図面がないから、確認のしようがない。そこには、事前に工事内容を確認するほどでもないという暗黙の前提が、依頼主と親方の間にある。
依頼主には、注文した通りに工事が行われるだろうという期待がある。親方の方には、相談を受け、確認した工事を行えば良いという判断がある。完成後、依頼主の期待と親方の判断が、一致する部分が大きければ、無事工事が終了する。依頼主は用意されているカラーバリエーション中からメーカー商品を選ぶだけなので、親方が大きな勘違いを起こすことはまずない。たいていのリフォーム工事は、このように行われている。
問題点を指摘するなら、分析というプロセスが抜けている点である。依頼主の判断に基づき、工事内容が設定され、その方向性に沿って、親方は工事を実施する。しかし、依頼主は自分の問題を自分で判断しているが、適切な判断がなされているのだろうか、と私は疑っている。
そのような工事を、次のように考えてみてはどうだろう。具合が悪くなったので、ドラッグストアーで薬を買って飲み、健康を取り戻そうとする試み。医療行為における、診察が抜け落ちている行為である。具合が悪くなったことに気づき、行動した所までは良い。しかし、医者の診察を受けずに、自分の判断に基づいて薬を処方した点に疑問が残る。
設計事務所の存在意義は、そこにある。
「相談内容がまとまってからでないと、設計事務所に相談をしても意味が無い」というのは間違いです。
相談内容は、まとまっていなくても大丈夫です。
相談しているうちに、考えが整理され、計画方針が決まっていきます。
なぜなら、設計相談は、お客様にとってコ―チングのような役割を果たしているからです。
質問されるから、考えようとする。
聞いてくれる人がいるから、伝えようとする。
自分のことを自分一人で考えると、思考が堂々巡りする。
人間の思考はそのような仕組みになっているようです。
団地にお住まいのO様から押入れリフォームの相談を受けました。
最初のテーマは、「押入れが外壁に面しているので、カビが発生する。何度、掃除をしても綺麗にならない。それを何とかしたい」というものでした。
しかし、話を聞いてみると、それ以外にも色々な要望があることが分かりました。
以前、考えたことや気になっていたことを思い出したのです。
O様は、自分の話が二転三転するので、申し訳なさそうにしていました。
そして、「もう少し自分で考え、要望がまとまってきたら、相談し直します」と言われました。
しかし、私は、「話がまとまっていなくても構いません。気にせず、思ったことを話してくれて大丈夫ですよ。話をしているうちに、要望がまとまりますから」と伝えました。
私からも、O様に質問をしたり、話の内容を確認したり、アイデアを提案したりします。
そうしているうちに、私の頭の中に、計画の全体像と方針が見えてきます。
それを、お伝えし、O様と共有します。
すると、「それでお願いします」と笑顔で答えてくれました。
計画が決まる前の相談というのは、このようなやり取りが行われています。
お部屋をスッキリさせることは、目的ではなく、手段です。
人それぞれ取り組むべき人生のテーマがあります。
それに集中するためにも、頭の中とお部屋の環境はスッキリさせておきたいものです。
最近、私は、部屋の中を片付け、そのことを実感しています。
三郷団地S改修では、引渡前に完成見学会を開催しました。
主に三郷団地の住民の方が来られました。
多くの方から
「リフォームを設計事務所にお願いするという発想が無かった。」
「リフォームに設計が必要であると思ってなかった。」
「設計というのは新築の場合に行うことだと思っていた。」
という声を頂きました。
そこで、何回かに分けて、「設計とは何か」、「なぜ設計が大事か」を解説しようと思います。
まず、初回その1は「設計は診察である。」です
お腹や頭が痛くなると、私たちは病院に行きます。
そこで、医者に診察してもらいます。
診察は、ヒアリングや検査を組み合わせて行われます。
その診察から得られた情報をもとに、生活習慣上のアドバイスをしたり、薬を処方したり、手術をしたりします。
つまり、診察は、医療の目的を果たす重要なプロセスなのです。
だから、診察料金を払い、病院に足を運ぶのです。
その診察が、設計に該当します。
一方で、ドラッグストアーで薬を買い、説明書に従って薬を飲むという場合があります。
これは、自分の体の状態を自分で判断し、薬を処方していることに相当します。
つまり、自分の判断が間違ってなければ問題ないのですが、その判断が間違っていれば、対処方法を間違え、改善の遅れや健康を悪化させてしまう可能性もあり、時間とお金の無駄です。
どの分野もそうですが、専門知識は少しづつ更新されています。
そのため、専門家は業界団体や資格関連団体に所属し、知識・技能の研鑚を怠りません。
一方、一般の方は、古い知識のままで、自分の知っている範囲の中で考え、結論を出し、判断せざるを得ません。
多くの方は、後者のドラッグストアーに行くような感覚でリフォーム専門店に相談し、リフォームしているのではないでしょうか。
これは、リフォームをお買物と捉えているからだと思います。
そして、「設計料は掛かりません」なんて言葉に、つられてお願いしてしまうのです。
診察料無料の病院に行きますか?、何か怪しいと思いませんか。
私は、リフォームは、お買物ではなく、医療行為と捉える方が良いと考えています。
どちらも、出費であることには変わりがありませんが、なぜか頭の中で区別している感じがします。
「リフォームは医療行為、設計は診察」と覚えておいてください。
初回は、ここまで。
では!
日中、坂戸の展示スペースの図面を書き、夕方、大宮に向かった。
創業ベンチャー支援センターのセミナーで出会ったメンバーと新年会があるのだ。
参加メンバーは5人。
マーケターとしてロボット事業のサービスを提供しているIさん、
パンの販売とパン教室を運営しているNさん、
社会労務士の事務所を経営しているSさん、
薬膳と発酵食品のコンサルタントと教室をやっているTさん、
それと私である。
同業でないところが良い。
パン屋Nさんと薬膳士Tさんが、食品表示のことについて話していた。建物は、BELSといって、省エネ性能を星マークで表す制度が2016年からスタートしている。どの業界も消費者保護の観点から同じような取り組みがなされている。
マーケターのIさんが扱っている商品は、ロボットである。話を聞くと、ゼロから作るのではなく、商品化された部品を自社で組み立てて作っているらしい。これも私の属する住宅産業と重なる部分がある。
同世代なので、あまり気を使わなくて済むせいか、居心地が良い。
たまに集まって近況を話し、お互い仕事に活かせるヒントを持ち帰っている。
次、集まる頃には、坂戸の展示スペースは完成していることだろう。
まだ、不確定な個所がいくつもあるが、あと2カ月くらいの間に何とか方針が決まるよう、しっかり仕事に集中したい。
午前中、地元の方のお宅を訪問した。
以前、手作り新聞を配っていたとき、声をかけてくれた方である。久しくお会いしていないので、資料を持ってうかがった。
今日は、ものすごく寒い上に、風が強いので、「中に入れ」と、リビングに案内してくれた。そこで、数十分ほど、これからの家づくりで、気をつけた方よい住宅の性能についてお伝えした。
その方は、「へーそうなんだ」と言う感じで、聞きなれないどこか自分とは関係ない世界の話でも聞くかのよう表情で、私の方を見ながら話を聞いてくれた。
しかし、これが一般の方の普通の反応なのだろう。
家づくりの楽しみの大半は、素材や器具や間取りと言った頭に思い描けるビジュアなイメージが実現することとその後の生活にある。
今、さらっと生活と書いたが、その生活の細部に住宅の性能が関係していることを一般の方が想像するのは難しい。
何かが足りないという感覚は、何かがあった時の状態を知っているから分かることだ。知らなければ、そんなものかと受け入れてしまう。
まして、建築士が設計したとなれば、それなりに色々考えてくれているのだろうと思ってしまう。しかし、現実には、2020年から始まる予定だった省エネ基準の義務化は撤回され、説明義務のみとなっていることを一般の方は知らないであろう。知り合いの建築士は、建築基準法の「国民の生命、健康および財産の保護を図る」ということに反するのではないかと訴えていた。
建築士の資質の維持・向上に終わりはない。
設計技術は、努力すればなんとかなるものだ。
知らないというある種の無邪気さが、社会にとって一番舘が悪い。
三郷市商工会が主催する新春賀詞交歓会に参加した。
市政の関係者と中小企業の経営者が一堂に集う唯一の会だ。
木津市長は「まちづくりは道づくり」と自論を述べ、現在計画中のいくつかの道路について話してくれた。
美田県議会議員は、昨年の全国各地の災害の話題に触れ、「先人が作り上げた土台を忘れず、国土の強じん化」を訴え、川に囲まれた三郷市の防災機能の必要性を説いた。
松井産業の松井社長は、「現在多くの中小企業が、事業継承の時期に来ている、100年企業を目指して頑張ろう」と、相変わらずの力強い声で、皆に激を飛ばしてくれた。
この会に参加すると、身が引き締まる思いがする。
普段何気なく生活している平和な三郷市だが、多くの方々の尽力で成り立っていることを実感するからだ。
2019年が始まった。
がんばれ、コ―タロー。
6月に完成した南越谷のワイン・バーを訪問した。
開口部の不具合を直すためである。
道路に面する大きなガラス窓は、コストダウンも兼ね、元々あったガラスを再利用して作った。外壁をモルタル仕上げにすると同時に、水が室内に入らないよう、板金で開口周りをぐるりと覆っている。
メーカーのアルミサッシを付けるだけなら、それほど心配ないが、薄い金属の板を折り曲げ、現場で職人が作るものなので、形状には十分配慮し設計した。
しかし、外側からシールを併用しアルミのチャンネル材で抑えているが、下枠に外勾配が付いていないため、大雨になると、隙間から水が少し染み出てくるらしい。板金で立ち上がりを作っても、ピンホールと呼ばれる入り隅部分の隙間がどうしてもできてしまう。そこが原因のようだ。
施工してあるシールを部分的にはがし、バッカーを取り除き、シールを再度充填する。外側からも、シールを充填し、隙間を完全に塞ぐ。掃除をして、椅子とテーブルを元の位置に戻し、一時間半ほどで作業は無事終了した。
久しぶりに訪れたお店は、引き渡しの頃と全く違った独特の雰囲気を生み出していた。お客様が自分で柿渋を塗った木部は、赤味を帯び、ワインのお店にふさわしい感じだ。
家具、グラス、ワインのボトルなどは、お店の工事が終わったときには、当然置かれていない。改めてお店を見てみると、それらは、お店の雰囲気を作り出す細かな装飾のようである。お客様のアイデアで、これからも少しずつ変化していくことであろう。
自分の手を離れたお店が、成長しているようで、とても幸せな気持ちになれた。
シンクロ・フードの営業担当者・Nさんが事務所に来られた。シンクロ・フードは、店舗デザイン.comというサイトを運営している会社である。
色々な店舗デザイン事例がそのサイトにあるので、私は以前から見ていて知っていた。Nさんは、関東エリアで店舗を設計施工できる会社がないか探していたところ、コ―タローを見つけてくれたのだ。
Nさんがコ―タローに興味を持った点は、店舗併用住宅の施工事例が多いことである。それは、他の会社にない特色であると、Nさんは言う。
店舗というと、飲食店・販売店・美容店を思い出されるが、バレエスタジオ、多目的スタジオ、絵画教室・絵画アトリエといった用途が、コ―タローにはある。店舗デザイン・comに掲載されている店舗とは、少し異なる用途であり、それがまた魅力的らしい。
確かに考えてみると、個性的な店舗併用住宅を作れる会社は、あまりない。店舗デザイン会社、意匠設計事務所、住宅メインの工務店、どの会社にも、ちょっとした障害があるからだ。
店舗を作ってくれる会社は、いくつか種類がある。しかし、開業にあたり融資を受けるとなると、設計と施工ができる会社の方が、好都合なのだ。なぜなら、計画の初期段階で、融資の提出資料である概算見積書が、必要になるからだ。その作業がスムーズにできるのは、設計と施工ができる会社に限られてくる。
また、店舗を設計から施工までできる会社はたくさんあるが、その会社が店舗併用住宅を作れるかというと疑問である。
住宅には、性能、耐久性、居住性が求められる。構造計算は当然必要で、2018年からは、外皮計算もしなければならなくなった。今後、打ち合わせの中で、光熱費や温熱環境のシュミレーションが求められる。店舗デザインとは異なる難しさが、住宅にはある。
コ―タローの仕事の中心は、住宅である。今まで、上記のような作業は当然の流れの中で行ってきたし、新しい取り組みの準備もしている。だから、店舗併用住宅を+αの部屋がある住宅として作ってきた。
バレエスタジオのある住宅(幸手のスタジオ)は、二階に大きな趣味の部屋のある住宅として設計した。
多目的スタジオのある住宅(戸塚のスタジオ)は、広いお庭に大きな茶室のある住宅として設計した。
絵画教室・絵画アトリエのある住宅(中青木のアトリエ)は、大きなリビングが複数ある住宅として設計した。
パン雑貨店のある住宅(塚越の家)は、まちのダイニング・キッチンのある住宅として設計した。
梨販売店のある住宅(東松戸の家)は、大きなリビングがもう一つある住宅として設計した。
コ―タローは店舗デザイナーではないのである。
店舗デザインは、広告宣伝業界に近い。だから、店舗デザイン会社は、コンセプトやマーケティングという言葉を使う。差別化し、売れる店とは何かを突き詰めているからだ。そして、コンセプトに沿って、内外装のデザインを決定し、PR活動や販促媒体とも連動させる。お店のあらゆる要素が、それに合う形に整えられていく。だから、店舗デザイン会社のお店づくりには隙がない。
しかし、この発想は、個人の方が長年温めていたお店の夢を形にするには、あまり適さないのではないか。まず、コンセプトやマーケティングという言葉が聞きなれない。やる気があって始めたにもかかわず、考え込んでしまいそうだ。
また、デザイナーが提案するコンセプトを認めてしまうと、コンセプトから外れてしまうアイデアは、諦めたり、変更しなくてはいけない可能性がある。デザイナーは洗練させたほうが良いという前提で行っているのだから当然である。しかし、個人でお店を始めようとするお客様は、不揃いで雑多なアイデアをたくさんお持ちであることの方が普通なのではないか。
私は、コンセプトをもとに整合性のとれたデザインにした方が売れるという前提を本当にそうだろうかと少し疑っている。
必要条件を整えるために、必要十分条件を犠牲にしているような気がするからだ。必要十分条件とは何か、それは、お客様の想い、やる気、勢い、諦めない気持ちである。ある一定以上のクオリティーがあれば、必要条件の不完全さなど、それらでいくらでも補えるのではないか。
私がこれまで携わった店舗のお客様は、皆、コンセプトなど語らず、始めている。
やりたいことが、お客様の中にしっかりある。私もコンセプトは何か?と聞いたこともない。お店のヴィジョンはお客様の中に確かにある。それは、上手く言葉で表現できず、語られたとしても、キャッチーな言葉ではないことの方が多い。コピーライターでもない訳だから、そんなことを私は期待していない。
むしろ、それを語る本人が、生き生きしていることが大切であり、これで良いのだと思っている。
コ―タローは、そんな、まちを明るく元気にしてくれる方々の力になりたい。
先日、南越谷のワイン・バーがオープンしました。
さっそく、仕事帰りに立ち寄ってみました。
引き渡しの時とは大違い、すっかりお店らしい雰囲気になっていました。
お店の雰囲気を作っているのは、もちろん設計者の作った内外装も貢献していますが、大部分は、オープンするまでに整えられた家具や食器やその他小さなアクセサリーなのではと感じられます。訪れたお客様が、見たり触れたりするのも、それらであり、思い出されるものの中心にあるのも、それらだからです。
食器は焼き物の産地で購入したこだわりの品々だったり、橋置き一つとっても考えられた商品をセレクトしたり、小さな一つ一つの選択が、単なる好みではなく、店主であるKさんのこれから来てくれるお客様への約束なのだと思わせてくれます。
帰り際に、若い5人組のお客様が入り、お店は急ににぎやかになりました。
早く、地元住民や会社の方に愛される行きつけのお店になってくれることを願っております。
ナナ・ヴァンHP
越谷市でTシャツのデザインと製造を行っているNさんの工場を訪問した。
越谷といっても、最寄りの駅は東武スカイツリー線の大袋駅で、駅から歩いて15分ほどの場所にその工場はあった。市街化調整区域らしく、周りはほとんど畑で、農家の家がぱらぱらとある程度であった。
そのため、工場は、天井高さがあり、かなり広い。その中に、作業机とパソコンとTシャツにプリントする機械とその乾燥機が無造作に置かれており、いかにももの作りの現場という感じであった。
倉庫を工場として使っているので、空調設備が整っていない。扇風機と冷風機でなんとか、暑さをしのいでいる。初めてお会いするNさんも、Tシャツにハーフパンツにサンダルにタオルという格好だった。
Tシャツ作りは天職だと熱く語るNさんとは話が弾んだ。Nさんの会社名はアルチザンという。アルチザンとは、近代以前の伝統工芸品を作る職人のことを意味するフランス語だそうだ。今設計している木造倉庫に中二階を作る話をしたら、とても興味を持ってくれた。
Nさんの工場も、中二階を作り二階をクリエイティブ系の職業の方に貸したらよいのではないかと提案した。そうすれば、毎月の賃料の負担も軽減でき、別の仕事の方と交流ができる。更に、Tシャツを作っている一階の天井高さが抑えられ空調効率も良くなる。場合によっては個室化することもできる。
Nさんには是非ご活躍していただき、中二階計画を実現されることを願っている。
株式会社アルチザン