田んぼの多い三郷市とその周辺には、立派な入母屋の家が、ところどころに建っている。自転車で移動中、そんな家を発見すると、私はじっと眺めていたりする。古民家と呼べるか分からないが、ある時代を象徴するデザインである。築50年くらいが多く、そろそろ建て替えようかと考えている方が多いようだ。
以前、訪問したお宅は、ものすごく立派な家に、ご高齢のおばあさんが一人で住んでいた。また、蔵のある農家のお宅も、中年の男性が日中一人でテレビを見て休んでいた。
住んでいる方は、改修するという発想にならないらしい。自分にとってあまりにも身近で当たり前の物に、人間は意外と価値を感じないところがある。それ以上に、今感じている不満の方に注意が向いてしまい、それを何とかしたいと考えてしまう。
幼少期、私は南房総の小さな港町に住んでいた。母はよく金目鯛の煮物を作ってくれたが、味が淡白で、あまり美味しいとは思わなかった。冷蔵庫には、とこぶしの煮漬けが、いつも冷凍してあったが、好んで食べた記憶がない。
そんな母も、今年で70歳である。特に大きな病気もせずに、元気でいてくれている。いつも聞こえていた波の音は、今では、心地よく聞こえ、懐かしさを感じさせてくれる。
彼らの立派な日本家屋は、幼少期の港町と母に似ている。完璧な親や完璧な子育て環境などどこにもないの同じことだ。
彼らの家に不満と懸念事項があるとすれば、それはなんだろうか。
考えられる項目をいくつか挙げてみる。
・断熱材が不十分か入っていないため、冬寒い。
・段差や高低差があり、高齢になった時、不便に感じた。
・廊下を介して部屋の行き来をするのが煩わしい。
・使わなくなった部屋が多くあり、掃除が面倒だ。
・今の生活に合った使いやすい収納が少ない。
・地震のときに建物が大きく揺れ、壊れないか心配になった。
・自分が死んだ後のことを考えるのに、時間を費やしたくない。
・どうすることが、自分にっとって最善の方法か分からない。
住んでいる方が不満を感じるのは仕方がないが、これがベストだと思って、当時の作り手は作ったと思う。これは、今の技術にも当てはまると考えた方がいい。このことは、自分の戒めにしている。
残念なのは、その不満の原因が今まで住んできたこの日本家屋にあり、新しく作り変えた方がいいと決断してしまうことだ。
そうなってしまう前に、現代の技術と考えを加え、改修方法の筋道を作り提案したいと、常々思っている。
丁度、新建ハウジングの一月号の中に、建築関連分野のスペシャリストの2019年の展望と題して、建築士会会長の三井所先生のメッセージも書かれていた。その中で、三井所先生は、
伝統工法には、数百年の使用に耐えられる日本の木造建築の廃れない技術とそれを支える生業を壊さない住宅供給システムが地域にあった。ただし、こうしたやり方だけでは、100年先まで続かないと思う。そして、新しい技術が生まれるたびに、古い技術を捨てるのではなく、過去、現在、未来につながる技術の融合が必要だ。建築以外の工学は、新しい技術が生まれると、古い技術を捨てることが進歩だと考えらるが、建築はそうではない。
と述べていた。
とてもタイムリーなメッセージを頂いた。