自分で判断しようとすると上手くいかない。
不満があると、原因を特定しようと、思考が働く。これは、人間が本来持っている防衛本能のようなものだ。問題のない快適で安心な環境にいる方が、気持ちの面でも良い。
どこに原因があるのだろう、という目で周りを見渡してみる。すると、汚い、壊れている、使いにくい、といった分かりやすい問題個所を発見する。合理的に考えても、一般的に見ても、問題に思える。他の人に聞いて見ると、同じような回答が得られる。次第に、それを見ていると、似たような嫌な感情がふつふつと湧いてくる。それを取り除けば、不満を解消できるに違いないと確信に変わる。それを、問題の原因であると判断する。
このような思考を繰り返し、自分を納得させ、本質的な問題が放置されているのではないかと、予想する。
人間には思考のフレームがあり、その大きさは人によって違う。そのフレームの外側を、本人は認識することが出来ない。知らないことは、見えないのである。特に、情報量が多く複雑になると、原因の特定が難しい。間違った事柄を、原因と認識してしまう。
三郷団地O改修では、当初、コンロの交換とフローリングのリペアの強い要望があった。その頃のお客様は、それらの不満で頭が一杯になっている印象だった。しかし、予算の都合で、それらの工事は行わなかった。工事が完了し、お部屋の中がスッキリ綺麗になると、お客様はそれ程気にならないと言って、今でもそのまま使っている。
狭い思考のフレームの中にいると、本質的な解決方法に至らないことが多い。思考のフレームを広げ、優先順位の高い問題から解決すれば、下位の状態はそのままであっても、問題が解消されてしまったりする。自分で判断しようとすると、それが出来ないのである。