ハウスメーカーは、60年代から70年代の安価な住宅を大量に供給する事が社会的な使命だった時に、生まれた会社が多い。工場で自動車・家電を製造し販売する発想を、住宅に置き換える事が出来ないかという所から来ている。だから、トヨタ・ホーム、パナ・ホームなどがある。大阪万博が開催され、メタボリズムという建築思想が注目されていた時期である。プレハブ住宅というのも、その頃に生まれた。
当時は、大工の工務店が、ほとんどの家を作っていた。三郷市内の農家に在る立派な入母屋の住宅などは、その頃に作られたものである。その頃の、新宿の写真を見ると、ほとんど瓦屋根の建物で埋め尽くされている中に、高層ビルがいくつか建っている風景が映し出されていた。設計事務所に住宅の設計を依頼するという発想は一般の人には無かったようだ。工事をする工務店も、設計者が描く細かい図面を読んで、それに沿って建物を作る習慣に慣れておらず、いつも通りにできない煩わしい仕事と思い、敬遠してたと思われる。
大学などの研究機関で、新しい住いの考え方や建物を作る技術や計算方法や優秀な設計者や技術が生まれても、それを実務で活かせる会社が限られていた。なぜなら、大多数の工務店は、昔ながらの経験と知識で作っており、新しい知識を学ぶ必要性を感じていないからである。また、人材も、徒弟制度の中で、中卒・高卒の若い子を大工の弟子から育成する流れしかないので、大学卒で知識を活かせるポストが用意されていないのだ。
当然、ハウスメーカーなどに新しい技術情報と人材は流通し、社内で開発応用されていく訳である。そして、80年代から、新しい生活様式や住宅に対する考え方を反映させた、ハウスメーカーの住宅と建築家を名乗る設計者が、住宅産業に進出し始めることで、工務店の作る住宅は選ばれなくなり、大工さんの工務店は規模を縮小して行くことになる。